サッコプロフィール

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伊藤咲子
血液型:A型
生年月日:1958年(昭和33年)4月2日
出身地:東京都目黒区
趣味:ゴルフ、ネイル、ラーメン
1973年(昭和48年) 日本テレビ「スター誕生」で第8回決戦大会準優勝。ホリプロを含む17社(歴代6位)からスカウトを受ける。
1974年(昭和49年)1月12日レコーディングのためロンドンへ。ランズダウンスタジオにて「ひまわり娘/オレンジの涙」「夢みる頃/待ちこがれて」の4曲を収録。
1974年(昭和49年)2月18日「少女フレンド」誌上で募集していた芸名(応募総数18371通)が本名(当時)「伊藤咲子」に決定 
1974年(昭和49年)3月27日甲府での「スター誕生」公開録画でひまわり娘でデビューを飾った時は15歳。
1974年(昭和49年)4月20日東芝EMIより「ひまわり娘」でレコードデビュー。オリコン最高順位20位 プレス数25万枚                                         
百恵、昌子、淳子の“三人娘”に肉迫のビックアイドルに成長。1973年下半期銀座音楽祭グランプリ、日本歌謡大賞など、数々の新人賞に輝く。                                                            
1974年(昭和49年)12月1日発売3枚目のシングル「木枯しの二人」オリコン最高順位5位 ブレス数49.6万枚 現在、伊藤咲子最大のヒットソング。                                          
1975年(昭和50年) 「青い麦」「乙女のワルツ」「冬の星」と大ヒット続出。        
1975年(昭和50年)8月21日第1回日本テレビ音楽祭の決戦大会にて、「乙女のワルツ」でデビュー2年目に活躍した歌手に贈られる「金の鳩賞」を受賞。ほか、日本歌謡大賞 放送音楽賞などを受賞。「乙女のワルツ」オリコン最高順位24位 プレス数26.4万枚                                                 
1976年(昭和51年)  1月23日中野サンプラザにて初のコンサート「初恋」を開催、大成功。2月15日千葉文化会館2月6日川越市民会館3月11日神奈川県民ホール3月16日相模原市民会館3月17日川崎産業文化会館3月19日藤沢市民会館3月23日浜松市民会館3月24日静岡市公会堂
1976年(昭和51年)12月24日「咲子と宏美のいかしたコンサート」郵便貯金ホールにて大親友の岩崎宏美とクリスマスコンサートを開く。月刊「明星」にリレー 小説「ちょっぴり愛の日」を連載していた桜田淳子、岩崎宏美、伊藤咲子の悪友トリオが夏に伊東にある恩師阿久悠先生の別荘に遊びに行った夜に昔交わしたコンサートの約束を岩崎と覚えてる?覚えているよと確認したと伊藤は語る。                                                             
1976年(昭和51年)12月31日「きみ可愛いね」の大ヒットで『NHK紅白歌合戦』に初出場する。オリコン最高順位9位 プレス数33万枚
1976年(昭和51年)「想い出のセンチメンタル・シティイ」通算シングル売り上げ200万枚突破。レコード大賞候補にノミネート。
1977年(昭和52年) 「青い鳥逃げても」失恋ソングが続く。
1977年(昭和52年) 8月5日秋田県民会館のステージを皮切りに全国12か所(東京・関東をのぞく札幌、高知、高松、岡山、大阪、京都、姫路、福岡、熊本ほか)で、全国縦断コンサート開催。
1982年リッキーシュローダーが主演を務める映画「小公子リトルプリンス」が4月に上映。そのイメージソングである「リトルプリンス」を発売。テレビ東京(当時東京12チャンネル)で映画キャンペーンにあわせ、リトルプリンスを歌う伊藤咲子の映像が毎朝放送された。
1982年ソウル音楽祭に日本代表として出場。当時の韓国では日本語で歌うことができなかったため、アルバム「おるごおる」に収録されている『ペガサス』の英語ヴァージョン『Between the Thunder and the Sun』が製作され、英語で熱唱。

1989年(平成元年) 結婚。歌手活動を休止。これまでに22枚のシングルと9枚のアルバム(オリジナル4枚、カヴァー2枚、ライブ盤1枚、ベスト盤2枚)を発表。
『伊藤咲子の店CHAKI』開店。女性実業家として成功する。

2003年(平成15年) 歌手活動再開。「夏祭りにっぽんの歌」「はつらつスタジオ505」などに出演。
「ひまわり娘」で夏の紅白『NHK思い出のメロディー』、「木枯しの二人」で大晦日の『年忘れにっぽんの歌』ともに初出場。
2004年(平成16年) デビュー30周年記念リサイタルを6月26日、古賀記念館で行い好評を得る。
また、9月5日日に新宿で追加公演を行い、こちらも好評を博す。
2006年(平成18年) デビュー曲「ひまわり娘」を“音羽ゆりかご会”の合唱団の子供達とともに再録音。
新しい童謡として話題に。
復帰後初となる「クリスマスディナーショー」を品川パシフィックホテルで開き成功させる。
2007年(平成19年) オムニバス映画「歌謡曲だよ、人生は」にて「乙女のワルツ」が起用され、全国で公開となる。
フジTV「笑っていいとも」水曜コーナ『プラチンショ』マル秘ゲスト出演。
フジTV「僕らの音楽」で一青窈と「ひまわり娘」をコラボレーション。
テレビ東京「カラオケ☆バトル3」、旅番組「土曜スペシャル」など、様々なジャンルの番組に出演。
テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」(12/31大晦日生放送)出演。
2008年(平成20年) ニッポン放送「テリーとたい平のってけラジオ」ゲスト出演。
NHK-BS「BS日本のうた」出演。歌唱曲「ひまわり娘」
NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲「乙女のワルツ」
テレビ東京「たけしの誰でもピカソ」スペシャルゲトとして出演。
2009年(平成21年) 日本テレビ「おもいッきりDON!」出演。
NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲「ひまわり娘」※時代の歌こころの歌
NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲「きみ可愛いね」※三木たかしを偲ぶ
テレビ東京「夏祭りにっぽんの歌」出演。NHKラジオ「日曜バラエティー」
4年連続となる「クリスマディナーショー」を品川パシフィックホテルで行う。
2010年(平成22年) NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲「木枯しの二人」※三木たかしの世界
テレビ東京「夏祭りにっぽんの歌」出演。
NHK-BS「BS日本のうた」出演。歌唱曲「ひまわり娘」
約25年ぶりの新曲となる「女の歌(作詞/一青窈 作曲/合田道人)」発売。
NHKラジオ「日曜バラエティー」出演。
ラジオ日本「夏木ゆたかのホット歌謡曲」
2011年(平成23年) NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲 新曲「女の歌」
NHK「歌謡コンサート」出演。歌唱曲「乙女のワルツ」
伊藤咲子コンプリートBOX(10枚組)発売。
NHK-BS「JPOP青春の'80」出演。
TBSテレビ「爆報!THEフライデー」出演。
テレビ東京「木曜8時のコンサート」出演。
テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」出演。歌唱曲「ひまわり娘」
2012年(平成24年) 東日本大震災チャリティー「夢コンサート」
「タイムスリップ!同窓会コンサート」などに参加し、全国各地で活躍中。
テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」出演。
2013年(平成25年) ブロードウェイ・ミュジカル『フットルース2013』に出演。伊藤咲子人生初のミュージカル出演で、主人公レンの母親のエセル役と酒場の女亭主アイリーン役の二役を好演。
デビュー40周年記念「伊藤咲子全曲集〜女の歌〜」発売。
2014年(平成26年) ミュージカル「HONK!みにくいあひるの子」(銀座博品館劇場)に出演。アヒルの母親アイーダ役を熱演。
日刊ゲンダイに「伊藤咲子スタ誕の時代」(全27回)連載。
2014年(平成26年)6月22日原宿ラドンナにてデビュー40周年記念ライブを開催。同じ事務所の先輩であった弘田三枝子からアメリカから電話メッセージとスワロフスキーのネックレスを、園まりからはメッセージと衣装を、そして後輩の大場久美子からもメッセージと衣装がプレゼントされ、三人の持ち歌を伊藤がプレゼントを身に着けて熱唱。
4年ぶりとなる新曲「ラスト・メール」をコロムビアレード移籍第1弾シングルとして2014年(平成26年)10月22日に発売。カップリングの「真夜中の2人」は「いい娘に逢ったらドキッ」と並び、ライブでのアンコール曲として定着しつつある。
2015年(平成27年) ミュージカル「HONK!みにくいあひるの子」(新宿スペースゼロ)に二度目の出演。
戦後70年という節目の年、美空ひばりや島倉千代子、織井茂子、並木路子など日本コロムビアを代表する歌手の名曲をカバーしたアルバム『ニッポン名曲娘』を9月16日に発売。        
2016年コロムビアレコード移籍第2弾は恩師である三木たかし先生の遺作となった曲「プルメリアの涙」で、2月17日に発売。                       
2019年は恩師である阿久悠先生の遺作「静かに、愛が飛び立つわ」を5月29日に発売。
2023年5月26日放映「徹子の部屋」に初出演。各方面で反響を呼ぶ。